2016年03月17日

ヤマダ氏、今更「寄生獣 完結編」を観る

なんとなくTポイントカードの更新ついでに、観るのをすっかり忘れてた映画「寄生獣完結編」をレンタルしてみました。
原作ファンなんで、映画とアニメが発表された時におおおってなって、ちゃんと前編は映画館で観たんですよね。
そのあと、アニメが終わって、あっちが原作に近い感じで終わったものだから、それで満足してしまったという。忘れてたわけじゃないけど優先順位はさほど高くなかった。独身ならともかく家庭持ちは時間がないのです。小説も書かなきゃだし。

前編については以前も書きましたが、「しゃーない」が総評でした。そもそも無理でしょ、という。映画2本で収まるわけがない。元々、寄生獣という漫画は心理描写や地の文によるナレーションが魅力だったんですが、そんなもの実写映画で多用できるわけがない。アニメは開き直ってそれをやりましたけど、映画は無茶。もう企画の時点で負け戦なんですよ。しかも、やるからにはうるさいファンを納得させつつ新規のファンを満足させなきゃいけない。
http://niigatabungaku.seesaa.net/s/article/412050653.html
その辺は前半のレビューにもあるので割愛しときますが、要するにその制約の中で成立させるために、テーマを絞ったのがポイント。

完結編も、当然、その方向性を踏襲しています。新一とミギーの関係は相変わらず相棒そのもので、ミギーは明らかに感情豊か。新一は苦悩する高校生というよりパラサイト殺しのために生きるダークヒーローに。説明が難しい部分、観客が引っかかる微妙な要素を排除して「分かりやすくシンプルに」という方向に大幅アレンジしています。エンタメの手法としては、確かにアリだと思います。ちょっと露骨で俗っぽ過ぎる感じはアレですが。
田宮良子は、新一とミギーを「希望」と言い切っちゃうし。立ち位置は明確になったけれど、パラサイトとしては浅い、浅すぎる。
映画は尺の問題があるので仕方ないのは分かりますが、そこを映像や音楽、役者の仕草や表情、演技で伝えられるのも、また映画だとも思うわけです。

市役所の後藤戦やヤクザ事務所のアクションをかなり省いたのは驚きましたが、予算や尺を考えれば仕方ないかなと。あと前半が、プロモーションに比べグロ過ぎて不評だったそうなので、その辺の改善もあったのだと推察されます。
その中で、概ね原作を踏襲した感じ。
良かった部分としては、倉森さんを父子家庭にするアレンジ。原作の奥さんはいい味出してたんですが、新一や田宮との親子対比という意味では面白い改変だと思いました。
あと、セリフは昨今の民放ドラマのような説明過多のお粗末なものも多い中、
新一「化け物の言うことか信じられるか」
田宮「人間の言うことは信じられるのか」
のやりとりはデビルマンみたいで面白かった。

問題は、単純化したアレンジと、原作踏襲の展開がミスマッチだったことだろうと思います。元々、寄生獣の原作は、設定と展開が完全に一体化していていじりようがなかったんですよね。だから、キャラやテーマをアレンジしたなら、ストーリーも大幅に変えなきゃならなかったんじゃないでしょうか。前編は小さなズレでしたが、ボタンの掛け違いみたいにどんどんズレが広がって、最後にやらかした感じがします。
例えば、ミギーと新一は最初からバディー的な展開ですが、そうした結果、最後のお別れの理由をミギーの自発的なものから「放射能の影響」という不可抗力にせざるを得なくなった。だって、ミギーは原作の「決して相容れない別種」ではなく「友人」なんですもの。突然、「今度は内面の活動に」なんて言うはずがない。あの放射性廃棄物ネタには、この部分の要素が大きかったと思います。
そして、新一が後藤を殺す理由の分かりやすいアイコンとして、後藤戦前後に里美を連れてきちゃったこと。色んな意味で、「愛人同伴出勤かよ」的に。確かに観客には分かりやすい改変ですが、結果、里美は新一とミギーのことを完全に分かっちゃってるわけで。
この2つのアレンジの結果、ラストの屋上のシーンは、ほぼ原作踏襲でも、セリフや演出の意味合いが全然変わってくるわけで。そうなると、あんまり感動とかないです。だったら、もう原作のシーンの再現なんてやめちゃえばいいのに。

でも役者さんは頑張ってた。橋本愛の村野役はオリジナルとは別物だけど、前編では、学校に1人はいる「やたらまとわりついてウザい変な子だけど、よく見たら可愛くね? これはイケるんじゃないかしら」っていう子をよく再現していたと思います。完結編では学校生活の描写が少ない分、ちょっとその辺の押しが弱いけど、濡れ場の生々しさで挽回。そんなとこだけ頑張ってどうすんのよ、っていう感じだけど。



総じて、埋もれちゃう程度の作品だけど、昨今のマンガ原作映画の中では及第点なのかな、と。すごくレベルが低い勝負ですが。
なんにせよ寄生獣ファンとしては、原作にスポットライトを当ててくれただけでもありがたいです。
posted by ヤマダマコト at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月13日

ヤマダ氏、ジュラシックワールドを観る

というわけでジュラシックワールドを観に行ったわけです。レイトショーで。別に他の映画でも良かったんですが、流れで。
結論から言えば、悪くなかったです。ジュラシックパークに比べて、エンタメ性やテーマ性は増しているというか、初代はCGの威力をわかりやすく示したSF。今回はハイブリッド種とか怪獣テイストが増し、人間と多種との関わりというテーマが全面に出ている感じ。とくに刷り込みされたラプトルによるハンティングシーンは絵になるなと思いました。
ただ、最後まで初代のオマージュにする必要はなかったし、DNA万能過ぎじゃねーか、という突っ込みはあります。
でも、この映画は作品を語ることが野暮ったいです。スターウォーズもそうですけど、映画館で観ることが重要というか。レイトショーでしたけど、いい年した爺様が3Dメガネとポップコーン片手に夢中になってるのを見てると、そういうアトラクション的な映画なんだなと。
本来、映画ってそういうもんじゃないですか。
なにも考えずに映画館の雰囲気を楽しむコンテンツでいいと思うんですよ。それこそ映画の楽しみ方だと思います。
こういう面白さは邦画にはないんですよね。コミックの実写化とかドラマスペシャルの延長みたいなものも悪いとは思いませんけど。


こんなん出てるんですね
ラベル:映画
posted by ヤマダマコト at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月29日

今さらドラえもん 新のびたと鉄人兵団を観た感想

男子は、ましてや小学生であっても恋愛については打算的であり、決して純情ではないと思う。
好きなるのが必ずしもクラスで一番の美女ではないということ。とくに私のような、決して男前でもなくスポーツ万能ではない冴えない男子はとくにそう。
だいたいクラスで18人くらいいる女子の中で6番目から10番目くらいが好きになります。
それは、1番の子は自分になんか目もくれないだろうから、という悲しい打算であって、
逆に目立たない子なら「こんな私を見ていてくれたなんて」みたいに思ってくれるような錯覚に陥るわけです。
実際にそんなうまくいくわけはないんですが、冴えない小学生男子はそこに夢を見るわけです。
もしも、そこそこ可愛いんだけどちょっと性格が捻くれていたり、変わった家の生まれで、いじめられてたりハブられてたりする子がいたら、密かにその子にすごく一方的な興味を持ったり。

先日、たまたまドラえもん映画「新のびたと鉄人兵団」を観て、小学生の低学年のころ、リアルタイムで旧作の「のびたと鉄人兵団」を観たときの印象を対比させ思ったことです。
同時に、この思い出こそが、この新鉄人兵団の、リメイク作品としての私の評価になるのだろうと思いました。

同作品は旧作の鉄人兵団をリメイクしたドラえもんの劇場版長編作品です。
地球制服を企む遥か宇宙のメカトピア星から来た鉄人兵団とドラえもんたちが戦うというストーリー。
のびたが偶然、鉄人兵団の尖兵である巨大ロボットを拾ったことがきっかけで事件に巻き込まれる展開。
ドラえもん映画の中ではシリアスでホラーテイストが特徴の作品で、そういった作風の中で、メカトピアからの工作員で、人間世界に特化した美少女型ロボット、リルルが重要な役割を果たし存在感を示す展開が高い評価を得ました。
80年代のトレンドですよね。美少女と巨大ロボ。
近年、パラサイトイヴでホラ大を受賞した瀬名秀明がノベライズもしました。
私は年末のテレビ放映で観ました。
この物語のエピローグは、他の映画ドラえもんと違い、何も変わらぬ日常に戻るのではなく、ちょっとしたサプライズがあるんです。
私はエンディングテーマとともにブラウン管の中を飛び続けるリルルを眺めながら、続きが観たいと強く思ったことをよく覚えています。

一方、今回のリメイクは巨大ロボの頭脳をマスコットキャラクターのピッポとし、リルルの友達にして2人の絆と同時に旧作では語られなかったメカトピアの描写を加えたのが大きな変更点だと思います。

個人的には、リメイクはすごく上手くやったと思う反面、どこかで何かが足りないという印象でした。
たしかにメカトピア関連の描写が増え、不気味さが減ったのは間違いないのですが、それだけではないように思ったわけです。
リルルだって、そんなに出番が削られたわけじゃないし。作品としては、こっちの方が新しくて色もきれいだし。
ネットで感想を見ても極端に分かれてます。
こういうオリジナルの評価が高い作品では、熱心なオリジナルファンが細部の違いを指摘し、リメイクを批判するのはよくあることですが、それだけではないような。

で、色々考えたときに、ふと思い出したのが上述の恋愛における小学生男子の思考。
多分、これなんだと思います。
私が好きだった旧作のリルルはひとりぼっちなんです。
メカトピアの異形の戦闘ロボットの中で1人だけ人間型なんです。どう見てもメカトピアの価値観からしたら異端で、いじめられてそうじゃないですか。
でも人間基準ではメチャクチャ魅力的。これは、冴えない小学生男子の最も好むキャラクターなんですよ。
一方でリメイクのリルルにはピッポという親友がいます。
その時点で、冴えない男子にとっては、届かない存在なんです。
ひとりぼっちだからこそ「こんな私を見ていてくれたんだ」のマジックが成立するのであって、ピッポがいては成り立たないんです。
つまり、このリメイクへの微妙な不満はピッポへのささやかな嫉妬に思えてなりません。
F先生にとっても思い入れのある作品だったそうですが、コミックの改稿経緯を見るに、F先生自身もそういう小学生男子的な意識があったのかも、と思って見たり。
そしてリメイクの監督が女性というのも象徴的です。すごく良い仕事をしたと思うのですが、やっぱり微妙な小学生男子の男心にまでは気付かなかったのかも知れない。

基本的に私はリメイクを肯定します。今の子どもに見せるなら絶対こっち。でも冴えない小学生男子やかつてそうだった人にはオリジナルを勧めると思います。そんな感想でした。

ちなみに私は自宅で5歳の長男と観ましたが、あまり興味がなかったらしいという。今の子は巨大ロボットよりコナン君や仮面ライダーを選ぶのだな、と。
ちょっと悲しいっす。


ブルーレイ版はこちら

posted by ヤマダマコト at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする